俺はなんでこうなった

文章書くの苦手なんで誤字脱字色々あります。

放棄とか無欲とか

不ニ一元論、バクティーヨガ、他のジャンルもあるが何回も読み返しているのは、これ関連の本で、ラマナマハルシ、ラーマクリシュナ、パパジ、バガヴァトギーターなど

その中で重要なこととして放棄とか無欲とかいう単語がよく出てくる

心を純粋にして神を知るためには欲望を放棄しなければならないと

はっきり言って、ほんの僅かの欲望さえも消すのは無理だと思っていた

一つの欲望が満たされても常に新しいものが湧き続ける

キリがない・・・

挫折、絶望し、あきらめて消えたように見えていた欲望も

目の前に機会がくれば一気に息を吹き返す

欲望や怒りや悲しみが現れても、巻き込まれないように感情や思考をただ眺めようと

努力とまでは言えないが、そう為そうとしてきた

なぜ努力と言えないかというと

断固とした決意が自分には足りないとわかっているからだ

「ま、いっか」で流され巻き込まれることも多いし

そのような感情や思考が湧くことも多い

 

 

だが最近少し変わってきた気がする

それは、欲望や怒りや悲しみが現れても否定せずに愛そうとした時からだった

今までは、嫌悪というか拒絶というか、これを消したいというおもいと同化して

巻き込まれないようにと見ていたきがする

それを欲望や怒りや悲しみが現れた時、その感情や思考に対してそれが現れたこと

存在していることを認めてあげる

いてもいいんだよと、大丈夫だよと

それから、位置的には胸に感じる私という感覚

それにも、いてもいいんだよと。大丈夫だよ。ありがとうと。

そして、私は満ち足りているとおもうようになった

正確にはそう思い込ませて精神的にそうなろうとした

今までも気が付くと、何故か満たされていて幸せだと感じることはあったが

思考が邪魔して否定していた 

現状を見ろ!!

ずっと彼女も友達もいないニートだろ!!と

 

 

 

「私は満ち足りている」思考と感情で強制的にそう繰り返した

満ち足りている

満ち足りている

満ち足りている

「あれ」とおもった

私には放棄するべき欲望などない

満ち足りているのだから

 

拒否し否定しそぎ落とすことは私には難しい

満ち足りていれば欲望の存在する場所などない

この湧き上がってくる思いを言葉にするなら感謝なのかもしれない